内モンゴルとの絆

 
源義経=ジンギス・ハーン説
 
源義経=ジンギス・ハーン説
今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。すでに源頼朝もいなくなり、話しは後編に入っています。
ところで頼朝の弟・義経は、平家討伐に尽力したものの、兄、頼朝に追われ、奥州で藤原泰衡に囲まれ、自害したと言われています。
しかし、その首が鎌倉に届けられたのがかなり遅かったということもあり、その後も、義経は生きていたという生存説がいろいろとあります。
そのなかに、じつは、義経は中国大陸にわたり、ジンギス・ハーンになった、という説もあるようです。
調べてみると、義経=ジンギス・ハーン説を流布したのは、江戸期に来日したシーボルトだそうです。シーボルトはさまざまな伝承、説話などを聞き、年代が一致していることもあり、義経は、奥州から北海道、中国にわたり、その戦の才能から「元」を立ち上げたのだと語っていたそうです。
しかし、ジンギス・ハーンは家系がはっきりしていることや日本からモンゴル高原までの距離、資金や言語の問題など、現在では、この説は否定されているようですが、モンゴルの人たちの誇り、ジンギス・ハーンと、私たち日本人がつながっているという話しは、モンゴルの人たちには失礼ですが、ロマンを感じる話しでもあります。