生産者STORY

 
桜井食品STORY
 
国内外で有機無農薬栽培を展開、安心・安全な製品を届ける
桜井食品株式会社 代表取締役 桜井芳明さんに聞く
桜井食品は、有機無農薬/オーガニック食品のパイオニア企業。自社農場や契約農場での栽培から、製造、販売まで、一貫したトレーサビリティ(追跡可能体制)で、「食卓に健康をお届けします」
 
考え方も自然体
 
考え方も自然体
桜井食品代表の桜井芳明さんは、健康食品を扱う方々によくある気負いのようなものがまったくありません。考え方も自然体です。よく桜井さんがおっしゃる言葉に「いらないものを抜いていったら…」というものがあります。
同社のロングセラーの看板商品に無添加のインスタントラーメン「純正ラーメン」があります。これを例に「いらないものを抜いていったら…」を見てみましょう。
「無添加の即席ラーメンというのは、実は大変なことなんじゃないですか」という質問に対するお答えも、淡々としたものでした。
「最初は頼まれたんですよ。20年、30年近く前かなあ。私どもは、添加剤を使わない麺、うどんとか蕎麦をつくっていたんですけれども、お客さんにインスタントラーメンで無添加のものをつくってくださいと言われたんですね。まずは『うーん、困ったね』でした。というのは、当時インスタントラーメンというのは添加物の塊で、いっぱいいろいろなものが入っている。
それをひとつひとつ抜いて、つくっていって、それでできたのが『純正ラーメン』です。できるまでに半年以上かかりましたかね」
簡単に「半年以上かかった」と言いますが、開発は相当大変だったようです。
工夫の中心は麺を揚げる油でした。400リットル近く入っている釜で揚げていますが、この油の回転率を上げ、400リットルに一日に足す油も400リットルというスタイルを編みだしました。計算上、油が一回転し、新しい油で揚げたのと同じことになります。これで製品の日持ちがぐっとよくなりました。
また直火式だと、炎の当たる部分は300度近くになってしまうので、間接加熱を採用し、局所的に油の温度が上がらないようにしました。蒸気の熱で145度〜150度に温められた油を循環し、油のシャワーみたいなところを、たとえば2分間くぐらせます。これは、油の酸化を防ぐ工夫でした。
「これが、一番大きな工夫でしたね」(桜井社長)
だしも、動物エキスや化学調味料は使っていません。
「現在は酵母エキスのみ使っています。これはパン酵母から旨味の部分だけを抽出したものです。個人的には酵母エキスも抜きたいんですけれども、なかなか味がまとまらなくて。これは2年がかりで苦労しています」
ということで、「純正ラーメン」も、まだまだ進化中のようです。

 
QRコードで生産者の顔が見られる
 
QRコードで生産者の顔が見られる
安心、安全というのが、このところ食品の大事なキーワードになっています。そこでスーパーなどでは、「私がつくりました」と写真、名前入りで「生産者表示」をしているところもあります。野菜などではとくにそうです。
ところが、加工食品などでは原材料の産地表示はあるものの、「生産者表示」のあるものは、まだまだ少ないようです。桜井食品のように、自社農園、契約農家と手を携えて、原材料からトレースしていれば、安心、安全をさらに深められるということになります。
このことをアピールしようと、同社では、パッケージにQRコードを印刷し、携帯電話で生産者の顔が出るような試みを始めました。
たとえば、Germer Roadでの売れ筋商品「お米のホットケーキミックス」の裏にあるQRコードを、携帯電話のカメラで撮れば、「減農薬・減化学肥料で30年稲作を続けている片岡さん」の写真が出てきます。
「私どもは、安心、安全は当たり前、義務だと考えています。しかし、安心、安全に心配な時期もありましたから、『当たり前だ』と言ってるだけではだめで、きちんとアピールする必要があると思います」(桜井社長)
ただ、いまの段階では、取り組みは始まったばかりのようで、QRコードを携帯電話のカメラで撮って、「これで生産者の顔が出てきます。あれれ、これはレシピだ(笑)」(桜井社長)ということもありましたが、「レシピとか、生産者の顔とか、生産現場とか、刈り取り風景とか、パッケージの裏に書ききれない情報を提供していこうと思っているんです。まだ一部の製品ですけれども、順次、全部の製品でやっていこうと思っています」(桜井社長)
確かに、パッケージですと1文字変えるのも大変ですけれども、ホームページだと簡単に変えられます。去年の情報を今年の情報に変えるのも簡単です。
去年収穫した原材料の「お米のホットケーキミックス」のQRコードからホームページを見たら、刈り取り風景が映り、生産者の片岡さんが「今年のほうがもっとおいしいよ」なんて言っていたら、とても楽しいですね。

 
有機無農薬が定着しつつある
 
有機無農薬が定着しつつある
桜井食品では、自社農場が岩手にあり、また契約農家が北海道、青森、岩手にあります。
自社農場を運営している思いを、桜井社長は次のように説明してくれました。
「農家さんに対して私は、できるだけ農薬や化学肥料を使わないでくださいとお願いしているんですけれども、どうしても最低限は使う。収穫が減ったら生活が成り立たないと言うんですね。私は、農薬も化学肥料も使わないで、これだけとれますよ、こういうやりかたでやりましょうということを実証するために、直営で農場やっているんです。
有機無農薬で、機械も使わない。機械を使うのは種撒くときと刈り取るときだけ。実は、農薬撒いたり化学肥料撒いたりするためにも機械を使います。私どもお金は全部農協さんの口座を通して動かすので、農薬や化学肥料使ったら、その費用とか散布費用とかが出てすぐわかる。
農協を通じて払うのは、種まき費用と刈り取り費用。それしかないので、誰が見ても明らかに有機無農薬だってわかる。
もちろん、花屋さんに行って肥料買うことはできるけれども、広大な畑に高い園芸用の肥料や農薬使うわけにもいかないので、そんなこととてもできないでしょう」
そういうことを証明するために、直営農場をやっています。
現在、北海道の契約農家は、小麦が9軒、馬鈴薯が6軒。岩手での奮闘もあり、馬鈴薯はいまではほとんど有機無農薬。小麦は1軒が半分だけ有機無農薬。徐々に有機無農薬栽培が増えてきているそうです。
「私たち、岩手県で赤字出しながら自社農場をやっていますけれども、先行きは明るいと思っています。農家さんも栄養分が足らないなら足らないなりに、藁(わら)をつっこんだり、いろいろやりようがあることがわかってきました。
100万収入があっても、90万、経費使っちゃったらどうにもならないでしょう。逆に、20万収入が入って、支払いがなにもないというほうがベターですからね。
そういうことを農家さんにお話しして、徐々に有機無農薬が増えています」(桜井社長)
「そういう意味で、先行きは明るい」と、この話しを力強く結びました。

 
岩手で直営農場を運営した背景
 
岩手で直営農場を運営した背景
岩手の自社農場では現在、完全有機、完全無農薬で小麦、大麦、蕎麦、大豆をつくっています。
これらの作物はおしなべて、有機無農薬でも収穫量は変わらないのでしょうか。桜井社長に聞いてみました。
「若干減ります。収穫量は大体9割くらい。マイナス1割ということです。でも、マイナス分はもとが取れるはずですよ。だって、肥料代もいらないし、農薬もいらないし、散布する費用もいらないので、結果的には手取りは増えますよ。たくさん入っても、たくさん出たらしょうがないですからね。
作業も減るし、農薬、化学肥料撒かないので健康にもいいだろうし、それでもとと同じ以上残ればいいわけでしょう」
岩手で直営農場を運営するきっかけには、ちょっと残念な話しがからんできます。
「岩手の農場は、15年くらいずっと契約農場だったんです。そうしたら、残念なことですけど倒産しちゃったんです。で、畑は残ったんで、売っていただいて始めました。
農家さんは本当に大変で、1年に1回、10日も使わない機械を600万、700万で買うんですよ。1週間のためにそんなお金使うんですかと聞いたんですけれども、体力の問題があるんですね。
1台ならばまだいいけれども、あの機械、この機械と3台も4台も必要でしょう。だから農家さんは、農協にローンを払うために働いているようなもんですよ。
それでも収穫できればまだいいけれども、3年続けて収穫できなかったら、農家さん倒産ですよ。
残念ですけれども、日本の農業、そういう農業です。
600万、700万するような機械は、グループで使ったらいかがですかと言うんですけれども、皆さん、プライド持ってておれが一番いいときに使いたいからそれでは困るということなんですね」
桜井社長は、こういう現状も見ているので、機械、石油に頼らない有機無農薬の農法を勧めているというところもあるようです。

 
うまくいった例の北海道
 
うまくいった例の北海道
岩手の自社農場は、契約農家が残念ながら倒産してしまい、そこの畑を売ってもらったのがスタートでした。その原因として、農業機械の過剰投資と農協に支払うローンを、桜井社長は挙げました。さらにその先には、農業従事者の高齢化で、現行の農法だと体力的に機械に頼らざるをえないという構造が浮かび上がってきます。
それに対して、桜井社長が「あそこはうまくいった例ですね」と挙げるのが、北海道の帯広近郊の例です。
「畑が大きいからできるんですね」と桜井社長は分析。
北海道の8軒の契約農家に組合をつくってもらい、共同で3,500万の稲の収穫機を買ったそうです。収穫期には24時間交代でその機械を使い、8軒が1週間で収穫するといいます。
「全収穫高は700tくらいですかね」(桜井社長)
刈り取る人、大型ダンプでどんどん運ぶ人が2人、受け入れて乾燥する人、4人でチームを組み、1週間ノンストップで700tを収穫するといいます。なんとも北海道らしい、ダイナミックな収穫風景です。
この機械導入が大いに成功して、「去年行ったときは、『無人で刈り取りをしたい』と言ってました」(桜井社長)
GPSを使って位置を測定しながら、コンピュータを使って、何メートル行ったら戻って来いとか、Uターンしてまた何メートル行ったら戻って来いとプログラムして、完全に無人で、収穫機を動かせるそうです。いま、これが「100万あればできるそうです」と桜井社長は言います。
「ともかく24時間ぶっ続けですから、夜の仕事だけでも、無人でやりたいということなんですね。運ぶのは人が必要ですけれども、収穫は無人でもできる。収穫だけでも無人でやれば、休む時間が延びるのでということなんです。現場は大変でしょうからね」(桜井社長)
こういった成功もあってか、「いま、北海道も少しずつ有機無農薬に変えていただいている最中です」(桜井社長)ということでした。

 
アルゼンチンの農場
 
アルゼンチンの農場
アルゼンチンでも農場をなさっているとのことで、桜井社長に聞いてみました。
「岐阜県が5億円金出して、第三セクターでアルゼンチンに農業会社をつくる。でも、県が運営することはできないので、だれかいませんかということで、回り回って私のところに話しがあったんです。それで、県のお金で2回アルゼンチンに行かせてもらいました。
ここまではよかったんですが、県議会に農業出身の議員さんがいらっしゃって、これだけの土地で農業やったら、岐阜県の農業が全部すたれちゃう。だから外国の農業応援しちゃだめということになっちゃった。県は県でお金出せませんということになっちゃった。
私たちはお金が出るからということで、向こうの不動産屋さんとか各県の県人会、広島県人会、沖縄県人会、愛知県人会、島根県人会とかも回って、農業をやりたいんでいい土地があったら紹介してくださいと頼んで、たくさん紹介してもらっていました。もうそろそろこのへんで買うかと言っているときに、『お金出ません』ということになっちゃった。
仕方ないんで、皆さんからなんとか6,500万お金集めました。アルゼンチンにも農業移民を送り出していましたので、その人たち用にJICAが持っていた売れ残りの土地があったんで、それを入札で買いました。
ただし、最初3億って言われたけど、6,500万にしてくださいと頼んで、皆さんには応札しないでくださいと頼んで、私たちは、産業廃棄物を捨てるようなことは絶対しません。純然たる農業をやります。地域の日系人の皆さんに喜んでもらえる農業を目指しますということで、皆さんに納得してもらって、めでたく買えた」
取得したのは400万坪、2003年のことでした。
管理人は日系人、事務所も日系人。実際に働くのは現地の農業会社に所属しているアルゼンチン人です。いまは軌道に乗り、有機無農薬で栽培した400tくらいの大豆を毎年日本に運んでいます。

 
アルゼンチンにおせち料理を届ける
 
アルゼンチンにおせち料理を届ける
「アルゼンチンで農業用地を取得するに当たっては、現地の日系人社会の人たちにだいぶ世話になった」とおっしゃる桜井社長。感謝の意を表すためにも、去年、一昨年と「銀しゃり本舗」の冷凍おせちを運んだそうです。
「おそろしい数、運びましたよ。本当は冷凍でも、食べ物はアルゼンチンに持って入ったらだめなんです。でも、ちょっとインチキして、没収は一箱だけにしてもらって、残りは勘弁してもらった」。篤実な印象の桜井社長がここだけはちょっといたずらっぽい笑顔になりました。
「向こうの人はお箸持って待ってましたよ(笑)。ちょうど解凍時間と飛行時間が一緒でした。皆さん日本出てから30年、40年、おせちなんか考えたこともなかったと言って、からっぽの折箱や風呂敷まで大事に持って帰った人がいましたよ。本当に喜んでいただきました」
ところで、アルゼンチンの農場でも有機無農薬で大豆をつくっています。というよりも、日本型農業のような集約型ではなく、もともとあまり手をかけない農業なのだそうです。
このことを、桜井社長は牧場の例で話してくれました。
「牧場のなかで、牛が、自家繁殖するんですよ。勝手に増えていく(笑)。それを半年に1回、オートバイで片隅に寄せる。そこでフェンスして、大きいのこっち、小さいのこっちと分けて、肉屋さん呼んで『これ、いくら?』。
で、牛が売れるとフェンスをとって、残った牛は牛で勝手にやっている。水は風車で汲んで、それを勝手に飲んでいるし、牧草が勝手に生えるので、それを勝手に食べる。
牧場の仕事は境界を回って牛がよそへ行かないか見張るだけ。それもガウチョにやってもらって、牧場主は売るときにしか来ない。のんびりしたもんです。日本から考えると夢のような話しですよね。
大豆とかひまわりとかつくってもらってますけど、撒きっぱなしです。日本で有機栽培というと、こだわってやっているイメージありますけれども、アルゼンチンの人はやりっぱなしで、取れるだけ取れればいい。
日本から行った人、トラクターにリヤカーつけたのに乗っていただいて、見学してもらうことがあるんですけれども、端まで行った人はだれもいません。どこまで走っても景色が変わりませんから、もういいですって言って、みんな途中で帰ってしまう。
4キロ四方というイメージですかね。内モンゴルもいいですけど、一度、機会をつくって、アルゼンチンにもいらしてください」

 
最初は、アメリカの機関で有機認証
 
最初は、アメリカの機関で有機認証
桜井食品の製品は一般のスーパー、小売店というよりも、首都圏や近畿圏の自然食品店で販売されていることが多く、桜井食品の主な取引先は、そういったお店に卸す問屋さんです。小麦粉などは、このごろ増えてきた、天然酵母のパンを店で焼きながら、夫婦で売っている、そういうところで目にすることが多いようです。
現在の桜井芳明社長は4代目ですが、3代目芳幸社長の代、昭和40年から自然食品のルートへ無添加、無着色製品の出荷を始めています。言わば草分けで、「最初のころは、有機の話しをしてくれないかと言われて、いろんなところでお話しをさせていただきました」と芳明社長。
「よく、かなり早い時期からオーガニックでやってますねと言われるんですが、昭和30年、35年くらいには、みんな普通にそういうのを食べていたはずです。
見てくれをよくするとか、日持ちをよくするとか、食味をよくするとか、いろんな目的で食品添加物を使うようになってきたんですけど、それ以前はそういうものがなくても、へっちゃらでつくっていたわけですよ。
多くのメーカーさんは万が一不都合があってはならないというスタンスで、添加物使うようになっちゃった。あるいは、安い原材料を使っても添加物できれいにしたり、見栄えをよくしたり、そういう努力を皆さんなさったけど、うちはそういうことをやらずに、本来の味をそのまま召しあがっていただきたいということで、ずっとやってきたということなんです」
「当たり前のことをやってきた」とおっしゃる桜井社長ですが、パイオニアならではの、愉快な経験も多々されているようです。
「昭和53年、アメリカとフランスに輸出を始めたとき、アメリカから来てもらって有機の認定受けたんです。日本初で、1994年だったと思います。
アメリカから来てもらって、北海道に連れて行って、農家さんを見てもらって、あのころ13軒だったかな。それをホテルに集めて、うまいもん食わせるから、判子だけもってこいって、サギのようなことやって、書類書いて、判子ついたら食っていい(笑)」。
阪神大震災、地下鉄サリン事件が起こった年、1994年時点では、まだ日本には認証機関もなく、検査官もいませんでした。この認証機関はOGBAという団体でした。
それから8年後、日本でも有機JAS法が制定され、桜井食品は制定と同時にオーガニック食品取り扱い(輸入業者、小分け業、製造業者)の認証を受けました。

 
生きざまは、必ず商品になって出てくる
 
生きざまは、必ず商品になって出てくる
ロングセラーである、無添加のインスタントラーメン『純正ラーメン』は、お客さまの「無添加のラーメンを食べたい」という要望が出発点でした。
このあたりの哲学を、桜井社長に語っていただきました。
「お客さんの立場としては、見かけのいいものを買いたいのか、それとも安心できるものを買いたいのか。私は安心できるものだと思っているんです。
自分で食べても家族が食べても安心できるものを売る。売れればいい、儲かればいいというスタンスで仕事をやってったら、あちこちがおかしくなってくると思います。
安心できるものを自信を持ってお客さまにお届けすれば、結果は必ずあとからついてきます」
桜井食品は、今年で創業101年になります。現桜井芳明社長で4代目です。
「この地でそれだけ仕事を続けてこられたということは、皆さんに支持されてきたということだと思います。101年やってきて、大きくもならなかったし、儲かりもしなかったけど、いいものをつくってきたという自信だけはあります。
自分も、親も、祖先も、『いいものをつくっている』と胸張ってやってきた。全然儲かってないし、いまにもつぶれそうですけど(笑)、やることだけはやりましたよと言えるのが私のプライドですね」(桜井社長)
「いい車に乗ったり、立派な家に住むということには、まったく興味がない」と言い切る桜井社長は、「だから、私には誇るものは何もない。それでも、私はいいものをつくるということには自信持っています。そういう生きざまなんだということですね。その生きざまは必ず商品になって、商品に反映されて出てくる。そこだけは曲がることはないというのが私のスタンスですね」